2025.10.31
「DIG:R STUDY MEETING #007」レポート

2025年10月15日(金)、広島市中区のAT THE TABLEの空間をお借りして、豊かな暮らしにつながるヒントを共有するトークセッション「DIG:R STUDY MEETING #007」が開催されました。
今回は広島で活躍する2組の女性デザイナーをゲストにお迎えし、彼女たちの視点を通して、クリエイティブな現場で女性が活躍すること、その魅力や課題について考えました。
■日時 2025年10月15日(水)18:30〜
■場所 AT THE TABLE(広島市中区本川町1-22-301)
■ゲストスピーカー
アートディレクター・グラフィックデザイナー/矢吹 菜美さん
デザインユニット パンパカンパニ/佐々木 彩・宮本 郁・水呉 成美
■聞き手
インタビュアー・ライター/岩竹 香織さん
第1部 広島でデザインする「彼女たちの視点」

18時を少し回り、ビルの窓にあたたかな灯がともる頃、会場となった「AT THE TABLE」の一室に続々と人が集まってきました。この日の参加者はほとんどが女性。いつもよりちょっぴり華やかに感じる空気の中、インタビュアーを務める岩竹香織さんの挨拶でトークセッションの幕が上がりました。
パンパカンパニのはじまりと働き方

トップバッターは、三原市の古民家に事務所を構え、備後エリアを拠点にクリエイティブワークを手がける「パンパカンパニ」の3人。同級生として武蔵野美術大学でデザインを学び、最終的に地元・備後エリアで活動する道を選んだ彼女たち。トークでは、その決断の裏にある思いや、地方で働くことのリアルを語ってくれました。
最初にマイクを手に取ったのは宮本さん。大学卒業後、いったんは東京のデザイン会社に就職しましたが、卒業と同時に迷わず地元の三原へ帰った水呉さんを追うように、1年後に尾道へ移住。2019年にふたりで「パンパカンパニ」を立ち上げました。
岩竹さんから移住した理由を問われ、「地元で近所の人たちからの頼まれごとを仕事にしながら生き生きと暮らす水呉さんを見て、一緒にやりたい!と思った」と回答。
一方、在学中から地元に帰ることを決めていたという水呉さんは、その理由について「私が大事に思っていた地元の景色がどんどん変わっていくのに耐えられなかった。東京にはいろんなものがいっぱいあるけど、私の大事なものは何もなかった」と、率直な言葉で当時の想いを伝えてくれました。
3人の中で一番長く東京で過ごしたのが佐々木さんです。「地元に帰るのは、デザインの力をつけてから」。そう心に決め、大学卒業後は東京のデザイン事務所に就職。着実にキャリアを積み重ねていた佐々木さんですが、新型コロナの流行をきっかけに働き方について考えるようになったといいます。そして悩みぬいた末、2022年、地元・広島へのUターンを決意。こうして現在の3人体制のパンパカンパニが誕生しました。

立ち上げ当初こそ、報酬を度外視した仕事も受注して別のアルバイトで生計を立てることもあったそうですが、今やロゴデザインからブランドの物語を導き出すブランディング力で高い評価を得て、多方面から引っ張りだこのパンパカンパニ。
そんな彼女たちがロゴをはじめとするデザインを手がけた尾道駅のジュース店「カンキツスタンドオレンジ」や、季節のプリンの店「Dewon」など、これまでのデザインワークがスライドで紹介されると、会場のあちらこちらでメモをとったり写真を撮ったりする様子が見られました。
矢吹菜美さんのはじまりと働き方

続いてマイクを握ったのは、矢吹菜美さんです。
「東京に行かないとデザイナーにはなれないと思っていた」と話す矢吹さんは、女子美術大学へ進学。卒業後も東京に残り「何者かになるまでは広島に戻れない」と広告制作会社に就職しました。さまざまな大規模案件にも携わるようになり、充実しつつも忙しい日々を重ねる中で、矢吹さんの心の中にある違和感が芽生えていったといいます。
「クライアントが遠すぎて、誰のためのデザインをしているのか分からなくなってしまった」と、当時を振り返る矢吹さん。「もっと相手の顔が見える距離で広告の仕事をしたい」。そう決意し、転職活動を始めた矢先、東日本大震災を経験します。矢吹さんの価値観は大きく揺さぶられ「もっと人のためになることを仕事にしたい」と、デザインから離れる決意をします。

そして食や健康に関わる仕事を探していたときにときに出会ったのが、「フーデリコ」のフードディレクター・奥村文絵さんでした。面接で自分の想いを話しているうちに大粒の涙をこぼす矢吹さんを見て、「あなたはデザインをしたい人。でもここではデザインはできないから、あなたはここではないよ」という言葉をかけてくださったそう。後日、「KIHACHI」のプロジェクトにも声をかけてくださり、それが矢吹さんにとってフリーランス初のお仕事になったのだとか。
奥村さんと一緒に「KIHACHI」の工場まで出向き、クライアントが抱えている課題に正面から向き合った思い出を語りながら、「デザインで問いを解決できる。デザインって本当はこういうことだったんだ、と気付くことができた」と、奥村さんへの感謝の言葉を重ねました。
その後、順調にフリーランスとして活動を続けてきたように見える矢吹さんですが、実は広島に帰ったのは自分の意思ではなく体調を崩したためだったそう。帰ったばかりの頃は気軽に相談できる友人も少なく、不安な日々が続いたそうですが、アルバイト先のギャラリーでのある出会いをきっかけに、再び人とのつながりが広がっていきました。
本屋「READAN DEAT」を営むご主人との出会いもそのひとつ。彼の紹介で「MOUNT COFFEE」の仕事を手がけるようになり、そこからまた新たなご縁が次々と生まれたのだそう。

「療養中は東京に戻りたい気持ちが強く苦しい時期もあったのですが、今は広島だからこそ出会えた人がいるし、いいお仕事をさせてもらっていると思います。広島に帰ってよかったと思うし、あのまま東京にいたら、今みたいなお仕事の仕方はできていなかったかもしれません」と柔らかな笑顔でしめくくりました。
2. 矢吹さん×パンパカンパニ×岩竹さんによるトークセッション

パンパカンパニの3人と矢吹さんのデザイナーとしてのはじまりの物語に、終始笑顔を見せたり、時に大きく頷きながら耳を傾けていた岩竹さん。自らもフリーランスとして活躍する岩竹さんだから分かり合えるポイントもたくさんあったようです。
後半は、事前に参加者の皆さんから集めた質問も取り上げながら、パンパカンパニの3人&矢吹さんと一緒に、「地方で働くこと」「地方でデザインすること」について、さらに深掘ることに。
「クライアントさんといかに出会い、仕事をどう進めていくのか。地方と東京で違いはありますか?」という岩竹さんの質問に「違うと思います」とすぐに答えたのは宮本さん。
「東京って人はいっぱいいるのに、住んでいても誰とも喋らないんですよ。でも尾道だと、商店街を歩くだけで何回“おはよう”って言うかわからないくらい(笑)。挨拶から“最近どう?”みたいな話になって、“ちょっと困ってるんだけど”という流れでお仕事につながったりもしますし、東京では10年かかっても出会えなかったような人たちに、あっという間に出会えたりすることも多くて、“飛び級したみたいでお得だな”と思うこともありますね」と笑いを誘いました。
矢吹さんも「確かに広島の方が人との距離は近いですよね」と共感しながら、「知人から“会ってほしい人がいるんだけど、今来れる?”って言われて、たまたま時間があったので行ってみたら、そのまま仕事につながったこともありました」と自身の体験を語りました。

東京で出版物のデザインをしていたという佐々木さんは、「こちらではクライアントさんの声がダイレクトに届く。それがすごくいいなと思う反面、東京では代理店さんが間に入ってくれていたことでデザインに100%集中できていた。それはある意味、守られていたんだなと気づきました」と独立したからこその厳しさも語りながら「それを含めて今、すごくいい経験をさせてもらっている」と実感を滲ませるように言葉を添えると、共感するように頷く様子が会場のあちこちで見られました。
最後に以下、事前に集めた会場からの質問と、それに対するパンパカンパニの3人と矢吹さんのお答えの中で、特に印象的だったものを一つご紹介します。
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《質問》
家庭の事情で17年ぶりに東京から広島に戻り転職しましたが、東京で働いていた時の方が輝いていたように感じ、これからの働き方を模索しています。
佐々木さん
私も東京の職場がすごく好きだったので、お気持ちがすごくわかります。でも“あの時”の輝きとは違う輝きが今はあると思っていて、私はここでしかできないこと、畑をやったり、仕事終わりに夜釣りに行ったり、親戚の桃農家のお手伝いをしたりして、東京では絶対にできなかったことを楽しんでいます。
水呉さん
東京と地方の話ではないんですけど、私も子どもが生まれる前と今では環境が全く変わってしまったという点でちょっと似てるなと思いました。子どもが生まれたらバリバリ仕事をするのは難しくなるとわかっていたつもりなのに、いざ育児が始まると「やっぱり前の方が仕事できたな、良かったな」って考えてしまう時があります。でも以前の私には戻れない。それなら新しい自分になるしかない。だから、今までの自分も大事にとっておきつつ、気持ちを新しく切り替えるようにしています。

矢吹さん
私も体調を崩して広島に帰った時、すごく悔しかったので「東京にいた時の方が輝いていたかもしれない」という気持ちがすごくわかってウルウルしちゃってるんですけど、広島に帰ってきたということもかけがえのない縁なんじゃないかなって思うんです。今はすごく悩まれているかもしれないけど、私も広島に帰ってすごく素敵な人たちに出会って、ここに住みたいなって思えたので、いろんなところに行って、未来を見て、そしたらきっと素敵なだなって思える出会いが見つかると思います。そして「東京へはいつでも帰れる」と心の隅において、まずは目の前の生活を大切に少しずつ楽しんでみるのがいいのではと思います。
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彼女たちの言葉はそれぞれ歩んできた経験から紡がれる言葉だからこそ、一つひとつがとても誠実で、その思いが会場の皆さんにもまっすぐ届いているようでした。
他にもたくさんの質問が寄せられており、岩竹さんが「全部ご紹介したい!」と、時間を気にしながらも全部の質問を紹介。矢吹さんとパンパカンパニの3人も一生懸命に全ての質問に答え切り、最後は「広島には、広島ならではのキャリアの重ね方があるということが伝わってきました。みなさんの言葉には、その土地の空気のような思考の余白を感じました」という岩竹さんの言葉で「DIG:R STUDY MEETING #007」の幕を閉じました。
会場を後にする人々の表情は心なしか明るく、新しい一歩を思い描くような充足感が漂っているように見えました。
取材・文:イソナガ アキコ
写真:おだやすまさ
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