2024.09.11
「DIG:R STUDY MEETING #003」レポート
2024年8月4日(日)、エディオンピースウイング広島にて、自分にとって豊かなライフスタイルを考えるきっかけをつくるイベント「DIG:R STUDY MEETING #003」が開催されました。
今回も2部構成。第1部のゲストはサンフレッチェ広島のスクールコーチを務める駒野友一さん。進行を務める水木智英さんと今田順さんの二人によるインタビュー形式で、駒野さんのバイオグラフィーを紐解いていきました。
第2部は会場であるエディオンピースウイング広島周辺エリアのまちづくりを推進する、NTT都市開発株式会社広島プロジェクト推進室部門長の岡本篤佳さんをお迎えし、複数のプロスポーツチームを有する広島だからこそ味わえる豊かなライフスタイルについてトークを交わしました。
第1部
駒野友一氏 トークショー
午後13時。突然、雨が降り始めたエディオンピースウイングの会場に、上下揃いのスポーツウェアとスニーカーというスポーティーな装いで颯爽と登場した駒野友一さん。
憧れのレジェンドを前に高揚気味の水木さんと今田さんからの「聞いちゃダメなことはありますか?」という質問に、「NGは一切ないです!なんでも話します!」と笑顔で返す気さくな駒野さんに会場の緊張が一気に緩みます。
和歌山の海と山に囲まれた自然豊かな街で育ったという駒野さんがサッカーを始めたのは小学4年生の時。すぐに頭角を表し、小学6年生で関西選抜入り。中学2年生の時にサンフレッチェ広島のスカウトを受け、高校入学と同時にサンフレッチェ広島ユースに入団します。
和歌山の強豪校や複数のクラブからの誘いもあった中、サンフレッチェ広島ユースを選んだ理由について、「Jリーグの下部組織でプレーすることがJリーガーになる近道だと思った」と話す駒野さんですが、その年にお父様を病気で亡くされており、自分が頑張って、サンフレッチェ広島ユースの寮費免除制度(日本代表に選ばれれば寮費が免除される)を利用できれば、親の負担が少しでも軽くなるという思いもあったといいます。
そしてプロ契約後の活躍は多くの皆さんが知るところですが、初めて出場した試合で対峙した三浦淳宏選手のプレーを見て「日本代表になるにはこれぐらいの選手にならないといけない」と奮起した話や、前十字断裂の大怪我をした翌年にU-23日本代表として出場したアテネ五輪の話など「あの時、そんなことがあったのか」と、本人しか知り得ないエピソードの数々に、皆さんがどんどん前のめりになっていく様子が見てとれました。
そしていよいよ話題はFIFAワールドカップの話へ。駒野さんは2006年のドイツ大会と2010南アフリカ大会、2度にわたってワールドカップに出場。活躍を見せた駒野さんですが、南アフリカ大会の決勝トーナメント1戦目のパラグアイ戦のPKを外してしまいます。
あの時の状況について「PKは何度も経験していたし、緊張はしていなかったけど、(失敗したのは)最後の少しの技術というところだったんだと思う」と冷静に振り返りました。そして帰国後については、「全くサッカーする気分になれず、笑うこともできなくなっていた」と当時の苦しかった状況語りつつ、それでも立ち直れたのは奥さまの気遣いだったり、当時4歳だった娘さんの笑顔だったといい、家族への感謝を口にしました。
その後、ジュビロ磐田からFC東京、アビスパ福岡を経て、最後は元日本代表監督の岡田氏からの要請を受けてFC今治へ移籍。そこでJ3昇格に貢献しました。FC今治では、まちを挙げての応援が、大きな力になったといいます。
引退セレモニーには離れて暮らしていた家族も駆けつけ、サプライズで息子さんが手紙を読んでくれたり、三浦和良選手から花束のプレゼントもあったそうですが、いずれのサプライズもチームの同僚が事前にうっかりバラしてしまった、という裏話には、会場から「えー!」という悲鳴のような声もあがり、大きな笑いに包まれました。
現在はサンフレッチェ広島のスクールコーチとして忙しい毎日を送る駒野さん。最後に広島というまちで、指導者として活動する思いをこう語ってくれました。
「サンフレッチェ広島、そして広島というまちは僕を育ててくれたいわば第二の故郷。スクールの子どもたちにサッカーの技術を教えることはもちろん、自分がワールドカップに出場して世界で感じたことも伝えていきたい。そしてその中から、Jリーガーや日本代表として世界で活躍できる選手が育ってくれたら嬉しいですね」
大きな拍手とともに、1部のトークショーは幕を閉じました。
第2部
プロスポーツから始まる豊かなライフスタイルについてクロストーク
第2部は、駒野さんにそのまま残っていただきつつ、広島都心部の開発を多く手がけるNTT都市開発株式会社の岡本 篤佳さんが登壇。広島都市部らしいライフスタイルを「アーバンパークライフ」と称して、住みたい街として選ばれ続けるまちづくりのために行っている開発や取り組みについてプレゼンしました。
そして広島が「住みたい街」として選ばれ続けるには、福岡のまちづくりを参考事例に出しながら、「街がエリアごとにキャラクターを持っていて楽しみが複層化している、かつ、それをみんなが正しく外に語られている状態」が望ましいとして、広島でもそうしたまちづくりが行われれば、若者が流出しないまちになるのではないかと提案しました。
岡本さんのプレゼン後は、再び4人で、サッカー、野球、バレー、バスケと複数のプロチームを抱える広島だからこそ味わえる豊かなライフスタイルについて、トークを交わしました。
「選手時代の頃と今を比べて、広島のまちで変わったことは?」という質問に駒野さんは、「エディオンピースウイング広島ができたこと」といい、まち中で紫のユニフォームを着た人を多く見かけるようになったことが嬉しいとしつつ、それでも福岡や静岡に比べると「広島はやっぱり野球の話題が多い。もっとサンフレの露出が増えてほしい」と切実な願望を語りました。
広島以外の中核都市も仕事でよく訪れるという岡本さんは、広島駅にあるスポーツ選手の柱巻きポスターを例に出し、「他の都市に比べて広島のまち中はスポーツの露出が多く、スポーツがまちに溶け込んでいると感じる」と話しました。またタクシーの運転手から野球やサッカーの試合結果について意見を求められることがよくあるといい、「試合を見ていないと返事に困ってしまう」と、会場の笑いを誘いました。
最後にモデレーターの水木さんは「広島はまち中にサッカー場や野球場があって、仕事帰りにスポーツ観戦に立ち寄れる。そこに広島のまち中の豊かさを感じる」と話し、そういうライフスタイルが5年、10年と続けば、広島のまち中の景色も変わるのではないか、と締めくくり「DIG:R STUDY MEETING #003」は閉幕しました。
トークが終わる頃には雨もすっかり上がり、汗ばむ陽気の中、岡本さんのアテンドで完成したばかりのひろしまスタジアムパークを見学した参加者の皆さん。広島のまち中に新しく誕生した公園に興味津々で、施設や遊具のレンタル方法を尋ねたり、「家族を連れて遊びにきたい」という声も多く聞かれました。
参加いただいた皆さま、どうもありがとうございました。
取材・文:イソナガアキコ
写真:おだやすまさ
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